今回は、「ヘミシンクによる具現化」CDで良い天気を引き寄せられるのか、実験してみた話です。
結果、日帰り旅行と3泊4日の旅行、両方で試して両方で成功しました!
箱根への日帰りバス旅行

まず箱根に行った日帰りバス旅行について。
3日前までは週間予報に雨マークがついていたのですが、「ヘミシンクによる具現化」でよく晴れているシーンを想像し、陽射しのまぶしさなどをイメージしたところ、天気予報の雨マークが消えました!
過去にも何度か箱根には行っていますが、霧が出ていることが多い土地です。でも今回は、青空とまではいかないまでも、霧も出ず、遠くの山まで見渡せました!
添乗員の話によると、数日前の同じコースでは、霧が出て景色が見えなかったとのこと。
面白かったのは、観光を終えて、あとは帰るだけとなってバスに乗り込んだら、どんどん霧が降りてきたことです。まるで「観光中だけ晴れていればいい」という願いを理解してくれたかのようでした。
3泊4日の旅行

3泊4日の旅行でも実験してみました。
天気予報では1日目と3日目は雨マーク、最終日もくもり時々雨の予報で、2日目以外は思わしくない天気でした。
そこで「ヘミシンクによる具現化」を3回おこなって、1日目、3日目、4日目の行程を晴れた空の下で楽しむシーンをしっかりとイメージの中で体験しました。
結果、すべて晴れか曇りで、雨にはあたりませんでした!
ただし、ホテルにいる間や高速バスでの移動中には降っていたようです。観光中だけは天気に恵まれたことに感謝です!
科学的な説明:記憶のバイアス
ただ、正直に言うと、私はもともと天気に恵まれるタイプです。
世の中では「晴れ女・晴れ男」「雨女・雨男」という言い回しがありますよね。私は子供のころからずっと晴れ女だと言われてきました。
科学的に見れば、気象は巨大なスケールの大気現象で、個人の影響が及ぶレベルではありません。「晴れ女・晴れ男」現象は、記憶のバイアスによるものだと説明されます。
「晴れ女・晴れ男」と言われる人は、晴れたときに「やっぱり私って晴れ女!」「やっぱり俺は晴れ男」と自己強化して記憶に残し、雨の日はスルーしているのです。
逆に「旅行のたびに雨が降る」と思っている人は、晴れた旅行の記憶より、雨でがっかりした体験のほうを強く記憶している傾向があります。
スピリチュアルな説明:波動と共鳴
一方で、スピリチュアルな説明も可能です。スピリチュアルでは、人のエネルギー(波動)が周囲の自然に共鳴すると考えます。
「晴れ女・晴れ男」のエネルギー
「晴れ女・晴れ男」タイプの人は、明るく前向きで、気が外向きに広がっているため、太陽エネルギーと共鳴しやすいとされます。
つまり「天気を変えている」のではなく、その人がいる場のエネルギーを軽くし、結果的に晴れやすい状況を引き寄せるのです。
こうした人は、
- 明るい声や笑顔をよく使う
- 感謝の言葉を口にする
- 物事を軽やかに捉える
といった特徴を持ちます。
「天気が味方する」ように感じるのは、その人自身が晴れの波動を発しているからなんですね。
「雨女・雨男」は浄化のエネルギー
一方で、「雨を呼ぶ人」は、「浄化のエネルギー」を持つ人です。
雨は、古来どの文化でも「恵み」「清め」「再生」の象徴。そういう人は、場の重たいエネルギーを流す役割を自然に引き受けていることがあります。
たとえば、
- 感受性が高く、人の気持ちを読み取ってしまう
- 周囲の空気が重くなると、無意識にそれを背負ってしまう
- 自然の中で過ごすと癒される
という傾向がある人は、まさに雨のエネルギーを持つタイプです。
その人が現れると雨が降るのは、その場が浄化されているサインとも言えます。
天候は集合意識の反映
スピリチュアル的には、天候は集合意識の反映と言えます。
たとえば、
- イベントの成功を強く願う人が多いと晴れやすい
- 悲しみや緊張が多い場では雨が降る
というように、人々の心の総和が、空の表情として現れるという考え方です。
その中で「晴れ女・晴れ男」「雨女・雨男」と呼ばれる人は、集合意識の媒介者なのかもしれません。
つまり、天気を変えるというより、人の思いや空気を天に伝える役割を持っている存在なんです。
「晴れ」と「雨」は、どちらも祝福
最後に大切なことを。
どちらの人も「運が良い・悪い」という話ではなく、自然のサイクルの一部です。
「晴れ女・晴れ男」は太陽のように人を照らし、「雨女・雨男」は大地のように人を癒す。
どちらも美しい役割なのです。
まとめ
ヘミシンクで天気の引き寄せを試してみた結果、少なくとも私の旅行では「観光中だけ晴れる」という願いが叶いました。
それが本当にヘミシンクの効果なのか、もともとの晴れ女体質なのか、記憶のバイアスなのか、波動の共鳴なのか——。
答えは一つではないかもしれません。
でも、願いを持って旅行に臨むこと自体が、すでに現実を創造する第一歩なのだと、私は思います。


